「幸村」という名のパワー

僕にとって歴史小説の原体験でもあり、小説家を志すきっかけとなった一冊が、小学5年生の時に古書店で手に取った池波正太郎先生の『真田太平記』。だからこそ、「真田家」への思い入れはとても強く、いつか小説を書きたいとは思っていました。

しかし、それこそ「真田」は池波正太郎先生をはじめたくさんの先輩作家が描かれ、書き尽くされた感じもある。まだ書かれていないことはなんだろうと考えた時、「名前」と「家族」をテーマにしてみたいと思いました。

ご存じの方も多いかとは思いますが、「真田幸村」の正しい名は「信繁」。「幸村」という名が初めて使われたのは、家康の本陣まで攻め込んだ姿が「日本一の兵」と評された大坂の陣から60年後の江戸時代。その活躍が講談で語られる時、「幸村」の名前が使われたことで浸透していった。いわば、虚構の中の名前なんですね。しかし、現代でも「幸村」の名前の方がよく知られていますし、歴史家の先生でも「信繁」の後に、必ずと言っていいほど「一般的には幸村と知られている」と補足してしまう。

「幸村」という名前の、この絶対的なパワーはなんだろう。もし、「幸村」という名を後世に残すための仕掛け人がいたとしたら……。そんな想像を膨らませ、「幸村」の名の謎に迫ることを物語の一つの柱としました。

『幸村を討て』(著:今村翔吾/中央公論新社)