家族のイメージが強迫観念となる
理由についてはいろいろなことが考えられるでしょう。そのひとつには「老老介護」の問題もあると思います。
もう70歳を超えた、立派なお年寄りと呼べる年齢の子どもが、90代や100歳を超えた親を介護したりしている。
介護にはお金がかかりますし、介護に時間を取られては働くこともままなりません。当然、生活は困窮し、最後には……という悲しい結果につながってしまうのです。介護については次の第5章で改めてお話ししますが、人生最後にして最大の問題が、この介護だと僕は思っています。
そして、親族間の殺人が増えているもうひとつの理由が、最初から言っている、「家族はひとつ」「家族は愛し合うもの」という強迫観念のような前提です。
これがあるから、「家族なのにどうして俺の気持ちが理解できないんだ!」という甘えのような感情がわいてしまう。
そして、その裏切られたという気持ちが、憎しみへと変わっていき、最悪の場合には殺人事件にまで発展してしまう。
「存在が近い」、もしくは「近いと思い込まされている」からこそ起こる悲劇といえるでしょう。
「家族はひとつ」はあくまでも理想です。
本来ひとつでないものを、ひとつにしようとするからひずみが生じる。いくら血がつながっているからといっても、自分でない以上、家族といえども他人です。そもそも夫婦間においては血すらつながっていません。
そんな認識を持っていれば、家族だから特別だという強迫観念もなくなるのではないでしょうか。