学界ではよくくりかえされる読解を、吉井も反復している
ならば、どのような背景が、ヤマトタケルの女装伝説にはあるというのか。この点について、吉井がとくべつ斬新な解釈を、ひねりだしているわけではない。学界では、しばしば見聞きする読み解きを、彼の『ヤマトタケル』はならべている。
ヤマトタケルへ女装にもつかえる衣裳をわたしたのは、叔母のヤマトヒメであった。その女服は、呪力を象徴する物として、理解されていただろう。皇子の政治的実践を、姉の代役とも言うべき叔母の祭祀的な力がささえる。『古事記』の女装譚は、そういう物語として読みとられたにちがいない。
また、この場面は往時のヒメヒコ制とも、通底しあっていた。司祭者である女性が、政治にたずさわる男性をバックアップする。そんなならわしと、つうじあう。沖縄で近年までつづいたオナリ神の信仰とも、ひびきあっていた。以上のように、吉井は議論を展開する。
さらに、新羅の花郎も、立論の俎上へあげている。女性の神秘が男の力を増幅する。ヒメヒコ制のそんなからくりは、女装によっても作動させることができる。花郎が女装におよんだのは、そのためである。ヤマトタケルの女装も同列に論じうると、吉井は言う。
私の紹介ぶりは、話をはしょりすぎているかもしれない。『ヤマトタケル』は、もう少していねいに説明をほどこしていたろうか。しかし、いずれにしろ、それらに学説としての新味はない。学界ではよくくりかえされる読解を、吉井も反復しているのだと、言いきれる。