女になりすまし敵をだます皇子の姿は「りりしい」か

前にものべたが、こういう解釈を私はうけつけない。それらは、記紀がえがいた女装とテロの物語から、目をそむけている。あるいは、ハニートラップをおもしろがる心性に、むきあおうとしていない。いずれも、ことの裏や奥ばかりを詮索し、正面からにげている。セクシュアルな要素に背をむけ、もっとやらしい説明へすりかえようとする、ひきょうな読み解きだと考える。

滋賀県の最高峰、標高約1377mの伊吹山。ここで山の神の怒りに触れたヤマトタケルは瀕死となり、その後、伊勢で最期を迎えたと言われる(写真:PhotoAC)

かりに、それらの臆測が真理の一端をうがっていたとしても、私は納得しない。

吉井は、書いている。小学生の時は、女装とテロの皇子像に感銘をうけた。なのに、そんな少年時代の感激を、あらためてとらえなおそうとはしていない。そこに、私は不満をいだく。

なぜ、女装皇子の隠密めいた凶行に、自分は好印象をいだいたのだろう。どうして、少年が女になりすまし、敵へハニートラップをしかける話で、胸がおどるのか。そこを見すえようとしていない。

『古事記』を研究するようになって、自分はかわった。ヤマトタケルの女装とテロにときめいたのは、まだ未熟な、学問を知らないころである。分析的に古典を読んできた自分は、もうそういうことで感激する地平にいない。そんな論述のなかで、以前にいだいた想いを、吉井はこうしるす。自分は女装でテロを敢行したヤマトタケルに、「美し」さや「りりし」さを感じた、と。

しかし、女のふりをして敵をだます皇子は、はたして本質的に「りりしい」か。この点には、うたがう余地がある。女装皇子の行動が、この形容詞にふさわしいとは思いきれないのである。