滋賀県の最高峰、標高約1377mの伊吹山。ここで山の神の怒りに触れたヤマトタケルは瀕死となり、その後、伊勢で最期を迎えたと言われる(写真:PhotoAC)

 

英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。最終回となる第20回は「大日本帝国の国語教育は」。

前回●児童書にも描かれ始めた女装作戦…

戦後の教育は記紀神話を生徒へつたえることにためらった

ヤマトタケルは、女の姿をよそおって、敵であるクマソの宴席へもぐりこむ。彼の美しさは族長の目をひき、傍へよびよせられた。さらに、酒の相手もさせられている。そんな相手の油断をつき、ヤマトタケルは寝首をかくことに成功する。

この物語は、20世紀の後半になっても、児童書のなかでくりかえされた。少年少女に、日本の神話や英雄伝説を語る場で、反復されている。20世紀の前半、あるいは戦前ともかわらずに。

にもかかわらず、今その認知度が圧倒的に高いとは言いきれない。少なくとも、今日の小学生が、みなこの物語を知っているわけではないだろう。成人であっても、ピンとこない人は、そこそこいると思う。

戦後日本の教育は、記紀神話を生徒へつたえることに、ためらった。ヤマトタケルの伝説だけにかぎらない。神武天皇や神功皇后のことも、授業ではとりあげなくなっている。ヤマトタケルの女装とテロをめぐる話も、戦前期ほどには普及しづらくなったろう。

かつて、国定教科書というものがあった。戦前、大日本帝国時代のことである。1903年から、小学校でつかう教科書の内容は、国家がきめだした。それを国定教科書とよぶ。

それまで、全国の小学校は市販の教科書から、自校でつかうそれを自由にえらんできた。民間の教科書会社は、とうぜん自社の商品を学校へ、より多く売りこもうとする。そして、その努力は、しばしば度をこえた。各地の学校関係者へ、賄賂をとどけるようにもなっていく。1902年には、その横行ぶりが全国で発覚し、一大疑獄事件へと発展した。

国定化は、そういう汚職を、あらかじめふせぐためにきめられている。出版社と教育界のくされ縁を、たちきるために導入された措置である。生徒への思想統制を、ことのはじめからねらっていたわけではない。しかし、事後的には皇国精神を注入する役目もになったと、よく言われる。