ヤマトタケルはクマソ兄弟が泥酔したところを見計らって懐から剣を取り出し、その兄の胸元を刺し通した。『日本武尊 豪傑ばなし』(著:折山子/金港堂)出典:国立国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。最終回となる第20回は「大日本帝国の国語教育は」。

前回●児童書にも描かれ始めた女装作戦…

戦後の教育は記紀神話を生徒へつたえることにためらった

ヤマトタケルは、女の姿をよそおって、敵であるクマソの宴席へもぐりこむ。彼の美しさは族長の目をひき、傍へよびよせられた。さらに、酒の相手もさせられている。そんな相手の油断をつき、ヤマトタケルは寝首をかくことに成功する。

この物語は、20世紀の後半になっても、児童書のなかでくりかえされた。少年少女に、日本の神話や英雄伝説を語る場で、反復されている。20世紀の前半、あるいは戦前ともかわらずに。

にもかかわらず、今その認知度が圧倒的に高いとは言いきれない。少なくとも、今日の小学生が、みなこの物語を知っているわけではないだろう。成人であっても、ピンとこない人は、そこそこいると思う。

戦後日本の教育は、記紀神話を生徒へつたえることに、ためらった。ヤマトタケルの伝説だけにかぎらない。神武天皇や神功皇后のことも、授業ではとりあげなくなっている。ヤマトタケルの女装とテロをめぐる話も、戦前期ほどには普及しづらくなったろう。

かつて、国定教科書というものがあった。戦前、大日本帝国時代のことである。1903年から、小学校でつかう教科書の内容は、国家がきめだした。それを国定教科書とよぶ。

それまで、全国の小学校は市販の教科書から、自校でつかうそれを自由にえらんできた。民間の教科書会社は、とうぜん自社の商品を学校へ、より多く売りこもうとする。そして、その努力は、しばしば度をこえた。各地の学校関係者へ、賄賂をとどけるようにもなっていく。1902年には、その横行ぶりが全国で発覚し、一大疑獄事件へと発展した。

国定化は、そういう汚職を、あらかじめふせぐためにきめられている。出版社と教育界のくされ縁を、たちきるために導入された措置である。生徒への思想統制を、ことのはじめからねらっていたわけではない。しかし、事後的には皇国精神を注入する役目もになったと、よく言われる。