戦争の経験を今後も作品を通して伝えたい

今回の作品は、「新劇交流プロジェクト」といって、劇団の枠を取り払い、7劇団(文学座、文化座、俳優座、民藝、青年座、東演、青年劇場)の俳優が出演するもの。「新劇」という言葉になじみのない方も多いでしょうね。

日本新劇俳優協会という組織があるんですが、すでに20年ほど前に、「新劇」という言葉を名前から外すかどうか議論になりました。そのときは小沢昭一さんが猛反対され、「千田是也さんの育ててきた新劇を僕はやり続けたい」と熱弁を振るって、結局残すことになったんです。

私も新劇の一番いい時代を生きた者として、その良さを伝えたいという思いは強いです。新劇が扱うのは「自分」だけではなく、国と自分、社会の中で生きる自分。常に「自分」を取り巻くものに目を向け、おかしいと思うことについてちゃんと声をあげ表現していく。

そんなスタンスを持っていることが新劇の特徴だった。こんな新劇にずっとかかわってこられたこと、その最後の舞台がこの作品であることを私は幸せに思います。

私自身は、子ども時代を戦争の中で過ごし、空襲警報が鳴るたびに防空壕へ逃げ込んだ世代です。みんなが飢えていた戦後の時代も経験しています。

焼け残った我が家の2階を進駐軍に占拠されたこと、小学校のときの同級生が原爆で亡くなったこと。これらの経験は、私の活動にもちろん影響しています。

新劇であれ映画であれ、戦争と人間、自由を求めて戦う人間などがテーマの作品と聞くと、やりたくなります。戦争を知る人がどんどん少なくなっている今、口を開いたほうがいいんじゃないかという気持ちも強いです。舞台にはここでピリオドを打ちますが、34年続けてきた原爆の朗読劇は続けていきたいと思っています。