初主演映画『マイ・ダディ』公開時に、映画への思いや家族のこと、近況を語った『婦人公論』2021年9月28日号のインタビューを再配信します。
********
バラエティ番組がきっかけで生き別れた母親と40年ぶりに再会し、「産んでくれてありがとう」と伝えたと番組内で告白したムロツヨシさん。早くに両親と別れ、現在も独身のムロさんの、俳優としての紆余曲折や、最近の心境の変化なども聞きました。
(撮影=小林ばく 構成=上田恵子)
余裕ができて、遊びが減った
2021年5月、東京スカパラダイスオーケストラにゲストボーカルとして参加し、「めでたしソング feat.ムロツヨシ」という曲をリリースしました。音楽番組にも出演させていただき、生で歌を披露するという貴重な体験も。10年前の自分に「歌番組でスカパラと歌うよ」と言ったら、きっと「冗談にしても、もう少し現実味のあることを言え!」って返されるでしょう。思ってもみない景色を見せてくださる人たちとの出会いに、感謝するばかりです。
この10年、振り返ればいろいろなことがありました。19歳で俳優を志し、20代はとにもかくにも必死だったけれど、まったく売れなくて。2011年のドラマ『勇者ヨシヒコと魔王の城』への出演を機に少しずつ仕事が増えていきました。ありがたいことに、数年後には多忙な日々がやってきた。ところが、いざそうなったらその状況についていけず、キャパオーバーに。忙しくなることに憧れ、目標にしてやってきたのに、仕事をこなすだけで精一杯になっている自分がいたのです。
当時の僕に必要だったのは、自らのキャパシティを広げる作業。ときには休んだり、趣味を作って没頭してみたり、人の話を聞きに出かけてみたり。そんな試行錯誤の末、少しずつ余裕を持って臨めるようになってきたのですが、今度は演じるうえでの遊びが減ったことが気になり始めました。
20代から30代にかけての僕のモチベーションは「ご飯が食える役者になりたい」という一点にありました。それは自分にとってとてつもなく大きな野心であり、エネルギー源でもあった。そして、誰にも何も期待されていないからこそ、自分を臆面もなく出していけたんです。けれど、なりふり構わないそんな僕を「面白い」と評価していただき、現場で「面白さ」を求められることが多くなると、相手の要望に応えることに力を注ぐようになってしまった。
36、37歳あたりで次のモチベーションが必要だと感じるようになりました。当時のインタビューでは「代表作を作りたいですね」などとありがちな言葉を選んでいましたが、45歳の今は、もっと自分を奮い立たせる目標を持たないとまずいなと、危機感を覚えているんです。そうしないと、自分に期待が持てなくなるかもしれない、という焦りのような感覚です。
求められたものとは違う何かも同時に提示できるよう、今は自分なりに実験を積み重ねているところ。正直に言えば、充実している現状を失いたくない自分もいます。でも、現状と引き換えにしてでも新しい何かを見つけたい僕もいて、今は頭の中でいろいろな自分が、毎晩のように会議をしている感じです。