「この2人にとって別れはちょっとの間なんだと。またすぐ会えるんだと思うと、幸せというか、穏やかな気持ちになれたんです(直子さん)」(撮影:本社・中島正晶)

延命治療については何が正解か、誰にもわからない

けれども私が行ったら、「なおこぉ」と口が動き、手をぎゅっと握ってくれる。そんな母がやせ細るのを見て、「胃から栄養を入れたら元気になりますよ」と聞かされたら、そうしてほしくなるじゃないですか。

胃ろうをしたことで、実際に母の顔はふっくらして、顔色もきれいなピンク色になりました。それを見て、父とも「ああ良かった」と喜び合ったことが忘れられないのです。

延命治療については何が正解か、誰にもわからない。自分たちが母を思ってした決断だから、それが正しかったと考えるしかないのでしょう。

母が1年命を長らえたことで、お別れの時期がコロナ禍と重なったことも、結果的に良かったと思っています。

仕事がいくつかキャンセルになり、長めに帰省しようと、私は20年3月に呉へ。そして母の枕元で「疫病が流行ってきたけん、東京を離れてきたんよ。しばらくこっちにいるから」と話しかけました。

母は、自分が死んだら父がどうなってしまうか心配だったのだと思います。「今なら直子がそばにいてくれるから大丈夫じゃ」と、あの時期に旅立ったのではないか。しかも緊急事態宣言が明けて父が病院へ面会に行けるようになるまで、母は頑張ってくれました。

いよいよ危ないと言われたのが6月1日。枕元で父が「おっかあ、わしがわかるか」と声をかけると、それまで弱々しかった心電図が素人目にもわかるくらい反応したのには、看護師さんも驚いていました。