炎上に対しては「闘わない」
ただ、この大炎上は稀にみる大炎上だったようで、夕刊紙で取り上げられたり、仕事現場で久々に会う関係者が「大丈夫?」と心配してくれたりしました。
とはいえ、公の場で私を庇ってくれる人は一人も居ませんでした。「変に味方して、巻き込まれたくない」という想いだったようです。そのとき、「炎上は、学校内での《いじめ》に似ているのかもしれない」と思ったものです。いじめられている人をかばった人が、新たないじめの対象になる…というアレです。
まぁ、とにかく、このときの体験は勉強になりまして、その後も小さな炎上は経験しているものの、へっちゃら…とは言わないまでも、いまは「闘わない」という選択に行きつきました。以前は、けっこう《相手》と闘っていたのですが、絶対にわかり合えない人というのは存在するもの。それも、見えない相手との闘いですから、「諦める」という術も覚えました。
現在、私のTwitterは休眠中。別のアカウントで、まぁまぁ平和にやっているし、ブログは、運営会社に批判的なコメントをカットしてもらっています。そういうシステムを利用せず、フォロワーさんからの批判コメントとしょっちゅう闘っている有名人には、「それは無駄なエネルギーかもしれませんよ」とアドバイスしたくなります。