潰しのきかない巨大イベントになってしまった

スポーツの力による平和の祭典からは逸れた意味が付与されるようになったのは、1936年のナチス政権下で行われたベルリンオリンピックからです。

ヒトラーは世界が注目するオリンピック大会を強いナチスのプロパガンダになるように利用し、大会は強い政治力を帯びるようになりました。当初の、戦争の代償であったはずのイベントが戦争的意図を煽るものとなってしまったわけです。

1964年の東京オリンピックでは、敗戦からの復興が加速し、日本橋の上に高速道路をつくるなど急ピッチで都市が開発されて、高度経済成長期真っ只中の日本をさらなる経済大国へと邁進させる大きなきっかけになった。まさにこの東京大会がきっかけとなり、その後のオリンピックに経済の力が加味されていくようになるのです。

今のような大々的なコマーシャリズム化と裏金の噂が絶えなくなった最初の契機は、1984年のロサンゼルスオリンピックですね。開催に何百億ドルという莫大な費用の掛かる現在のオリンピックの基盤が確立しました。

今後、パリ、ロサンゼルス、オーストラリアのブリスベンでの開催が決定していますが、以降、手を挙げる都市があるのかなと疑問に思います。

いずれにしても、オリンピックというものが古代の発祥の動機から外れ、疫病の最中ですら実施せねばならないような潰しのきかない巨大イベントになってしまったことに疑いの余地はありません。

※本稿は、『歩きながら考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)

パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!