路上という違う角度から、この街を知る

東京にはどこか、等身大以上の自分であろうという意識が車の社会にも表れているのかなと感じることがあります。

外部から集まってきた人たちによって成り立っている都市ですから、「田舎者とバカにされないよう、かっこよく振る舞わなければ」という気負いのような、背伸びした感覚が、バブル時代が終わってからも続いているのかもしれません。

東京の街を車で日常的に移動しているのは東京のなかでも限定的な層である可能性はありますが、車の運転を始めたことで、また路上という違う角度から、この街を知ることもできるような気がしています。

※本稿は、『歩きながら考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

【関連記事】
ヤマザキマリ「始めてしまえば大丈夫」との目論通り開催されたオリンピック。なぜ発祥の動機から外れ、疫病の最中でも実施せねばならない巨大イベントになったのか
ヤマザキマリ「あってないような水際対策を経てイタリアから来日した夫。人間の不完全さを知れば、余裕ができて腹も立たなくなる」
ヤマザキマリ「なぜ母は東京から北海道にわたり、40代半ばで大きな家を建てたのか? 北の大地と薔薇」

歩きながら考える』(著:ヤマザキマリ/中公新書ラクレ)

パンデミック下、日本に長期滞在することになった「旅する漫画家」ヤマザキマリ。思いがけなく移動の自由を奪われた日々の中で思索を重ね、様々な気づきや発見があった。「日本らしさ」とは何か? 倫理の異なる集団同士の争いを回避するためには? そして私たちは、この先行き不透明な世界をどう生きていけば良いのか? 自分の頭で考えるための知恵とユーモアがつまった1冊。たちどまったままではいられない。新たな歩みを始めよう!