その「封印切」を見逃したことは悔やまれてならない。(後日、吉行さんにメールで訊くと、「橋爪さんの八右衛門はすごく上手でしたよ、関西弁だし。とにかく私は下手でした。反省して地唄舞を二年ほど習いに行き、少し役に立ちました」と返信があった)

そういえば、私が最初に観た芥川比呂志演出の『スカパンの悪だくみ』(モリエール作)の橋爪さんはなぜか大阪弁で、なんとローラースケートをはいて登場するのだった。

――まぁ、順を追って言うと、文学座時代はまったく役がつかなかった。昭和38年、芥川さん以下20何人かが退団する分裂事件直前に、演出の木村光一さんから、「今度お前、いい役で出るからな」って言われたのが『キッチン』(アーノルド・ウェスカー作)。でもその結果を待たずに、さっさと僕は文学座を辞めちゃったの。

それで芥川さんに従って劇団「雲」に入るつもりが、「若い者の面倒を見る余裕はないよ」という人がいて、でも僕は毎日稽古場に押しかけて雑用をしながら何とか入りこもうとするわけよ。(笑)

芥川さんは結核で何度も入院なさっていて、ようやく戻って来られて演出したのが『ブリストヴィルの午後』(安岡章太郎作)。僕の役は被差別部落出身者で、急に入って来たアメリカ人(ドン・ポムズ)にコテンパンにやられちゃう、ちょっと変わった役。芥川さんはこれで紀伊國屋演劇賞の個人賞をもらう。

で、次がその『スカパン』の主役。これでやっと僕も「橋爪っていうヘンな役者がいる」と演劇界で認められることになるんです。(笑)

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