兄と同年齢の時、母はまだ、要介護認定を受けていなかった。そして91歳で救急搬送されるまで、長く要介護2だった。今の兄は85歳の時の母より、頭も体も衰えている。まさかこんな兄の姿を見ることになるとは、10年前には夢にも思わなかった。
脳梗塞の発作を起こすまで、兄は頭脳明晰で才気煥発を絵に描いたような人だった。ギターの腕はプロ級で、たいていの楽器は見様見真似でこなせたし、手先がものすごく器用で、仏像彫刻の教室に行ったら先生より上手で、講師になってくれと頼まれたそうだ。趣味も広く、夏はスキューバダイビング、冬はスキー、ジャズにはまった時代もあれば、イタリアへオペラを聴きに通った時代もある。
そういう人だから、バブルの頃はなんちゃらプロデューサーと称して、企業相手に結構稼いでいた。母もその頃は父より兄を頼っていて、私と次兄も世話になった。11歳年上なので、兄というより若い父親のような存在だったと思う。
それが今は、昔できたことが何もできない。音楽もスポーツも、目が疲れると言って本も読めなくなってしまった。老いるとは失い続けることなのかと、兄を見ていると切なくなる。
二歳年長の次兄はかつては昆虫少年で、世間知は皆無、自分でお湯を沸かしたこともなかった。しかし、結婚して兄嫁と二人で特別養護老人ホームと介護老人保健施設の施設経営に携わるようになって、すっかり変身した。休みの日は昆布と鰹節で出汁を取り、鍋料理を作って家族にふるまうという。渡り蟹のクリームパスタも得意だそうだ。信じられない!
近頃はこの次兄を頼ることが多い。母が退院する日、私は病院へ迎えに行き、長兄が家で待機して介護その他のスタッフと手続きを済ませる予定だった。しかし前夜、私の体調に異変が……。困り果てて次兄に電話すると、すぐに駆けつけて必要な手続きをしてくれた。介護や医療関係の知識も豊富で、本当に助けられた。
立場が人間を作るのだと、その時しみじみと思った。次兄に昔のぼーっとした昆虫少年の面影はまったくなくなっていた。