正直あまり口に合わなかったけれど、「セ・ボン(これ、いいねえ)」と言いながらおいしそうにクスクスとワインを平らげたら、「こういうおいしさがわからなければ、オレたちのことはわからない」って言うんです。続いて出てきたのが、山羊のチーズ(笑)。当時の僕は6Pチーズすら食べられなかったのに、とにかく頑張って食べました。
その後、猿翁さんとお食事に行くと「チーズいただいていいですか」と言うようになりました。「どうしたんだよ、あんた」と驚かれるので、「ダンサーのみんなを理解してもっと仲良くなるには、こういう味に慣れたほうがいいのかなと思いまして」と答えたのを思い出します。
実はそれがきっかけで、以来ワインとチーズが大変好きになりまして。いまやワインなしには生きられない体です。(笑)
20代、30代と、常に突っ走って新たな道を切り開く猿翁さんの姿を眩しい思いで見てきましたが、ただ後ろについているだけでは学んだ意味がない。そう思って、40代で思い切って澤瀉屋から離れる決心をしました。
ちょうど十八代目中村勘三郎さんから声をかけていただいたこともあって、平成中村座に参加するように。勘三郎さんも精力的にヨーロッパやアメリカで公演をしてきた方。
僕は猿翁さんと勘三郎さんというパワフルなお二人の背中を間近で見たことで、いつか自分の力でヨーロッパに歌舞伎をもっと根づかせたいと考えるようになりました。
夢が叶ったのは2016年のことです。息子の坂東新悟との自主公演「やごの会」の公演を、フランス、スイス、スペインで行いました。感無量でしたね。