弟は中学2年で陸軍幼年学校に
夜になると「軍人勅諭」を言わされて、うまく言えないと、ビンタされる。少尉とか中尉はやらない。上等兵ぐらいが威張り散らしてた。でも誰も逆らえない。恐怖政治のもとでは、何も言わないほうが得だと思ってしまうのです。
当時、「軍人精神注入棒」というのがあってね。一列に並ばされて、順番にそれで殴られたことがあります。かんぬき形で角のとがった棒でね。「あれ、何か垂れてきた」と思ったら血でした。その時の傷がまだ頭に残っていますよ。僕らにクマザサを刈らせて、そのとがったギザギザの茎の上を裸足で歩かされたこともあります。みんな血だらけ。
意味なんか何もないんですよ。楽しみのためにいじめる。ある時、水場でシャベルの汚れを落としていた時に、目の前をカエルがヒューンと泳いでいったんですよ。その時は思いましたね。「ああ、俺はカエルになりたい」って……。
僕には6歳年下の弟がいるんですが、旧制中学2年の時に、熊本の陸軍幼年学校に合格しちゃったの。幼年学校というのは、将来の幹部将校候補を育てるための学校で、普通の学校よりよほど難しい。それじゃあ俺が書類を書いてやる、と言って、入学手続きの書類を一所懸命書いた記憶があります。
幼年学校の入学式には弟と一緒に行き、僕も参列しました。そこで校長がこう言ったんです。
「この子たちは兵隊として預かります。敵が上陸してきたら、鉄砲を持って戦いに出る。もし異論がある人がいたら、一歩前に出てください。その人には子どもを連れて帰ってもらいます」
式が終わると、弟たちはバイバイと手を振って、宿舎のほうへ向かっていきました。この時は、今生の別れだと思いましたね。だから、日本が戦争に負けて、また弟に会えた時は、本当に嬉しかったですね。