イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「これが近未来だとすれば」。友人の娘の結婚式に参加するためドバイへ。そこで見たものとは――(絵=平松麻)

結婚式に出席するためドバイへ

友人の娘の結婚式に出席するため、ドバイに行ってきた。その友人は、保育園に勤めていた頃の同僚(正確にいえば、副園長だったので上司)だ。シングルマザーとして育て上げた一人娘が、ドバイの裕福な青年と知り合い、数年の交際を経て結婚することになったのだった。

ドバイなんて死ぬまで行くことはないと思っていたが、行ってみれば、まあこれがすごかった。まず、新郎のご家族が手配してくれたというホテルが、贅の限りを尽くした、というか、文字通りにきんきらきんだった。朝、目が覚めると、なんか妙に部屋がまぶしい。なんでも大理石の床の装飾に本物の金が使われているそうで、金なんか踏んで歩くとバチが当たるのでは、と恐ろしくなり、つま先立ちでぴょんぴょん跳びながらバスルームに向かうわたしは、骨の髄まで貧乏性なのだった。

プールの脇で本を読もうと外に出て、デッキチェアのそばにあったパラソルを開こうとすると、尋常でないスピードで従業員が飛んできて「マダム、われわれがいたします」と𠮟られてしまう。部屋で原稿を書いていると誰かがドアをノックするので開けてみると、フルーツの盛り合わせと飲み物を持ってウエイターが立っているので「そんなの注文してません」と焦れば、「サービスでございます、マダム」と笑われる。頼んでもいないものが運ばれてくるホテルなんて泊まったこともない。それに、そんなに大量のフルーツを一人で食べられるわけがないではないか。そもそも、なぜパイナップルでヒヨコをつくったり、イチゴをお花の形に切ったりする必要があるのか。

などと、心中でぶうぶう言いながら披露宴に出席したら、これがまた想像を絶する一大イベントだった。いくらかかったのかを考えると、物価高と生活苦で抗議活動が起きている英国に住む人間とすれば、やっぱりバチが当たりそうな気分になる。

何よりすごいと思ったのが、屋内に広大な庭園をつくっているところだった。明かりを落とせば、もはや本物の庭にしか見えない。真夏のドバイは連日40度を超えているから、屋外で披露宴なんて不可能だ。それなのに、「いや、不可能なことはない」とばかりに屋内に庭園をつくる人間の欲望(と財力)には、とんでもないパワーがある。