2002年日韓ワールドカップ。日本対ベルギー戦にて日本2点目の逆転のゴールを決め、歓喜の稲本(右)にユニフォームを引っ張りながらかけ寄る三都主。埼玉スタジアムで。2002年6月4日撮影(写真提供:読売新聞社)
2022年11月20日、ワールドカップ(W杯)カタール大会が開幕する。7大会連続出場を成し遂げ、初のベスト8入りを目標に掲げている日本は、1次リーグE組に入り、ドイツ、コスタリカ、スペインと対戦する予定だ。一方、2016年から3期にわたり日本サッカー協会会長を務めてきた田嶋幸三さんは、この間、世界基準をめざして数々の改革を断行してきました。その田嶋さんいわく「黄金世代」と言われる代表メンバーで、初のワールドカップベスト16を成し遂げた2002年の時点でも、実は日本サッカーに対して大きな危機感を抱いていたそうで――。

日韓ワールドカップで念願の「ベスト16」に

2002年8月、私はアンダー世代の監督を辞めてJFA技術委員長というポストを引き受けることにしました。

当時の日本サッカー界の様子はどうだったでしょうか。

その年の5月、日韓共催でW杯を開催するというビッグイベントがありました。FIFA史上初の2ヶ国共同開催という変則的な形ではあっても何とか開催することができ無事に大会は幕を下ろしました。しかも、日本は念願の「ベスト16」に入ったのです。

DFから積極的にプレスをかけていく「フラットスリー」戦術を採用し、フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表はグループステージを突破しました。

満足感にみんなほっと一安心といった感じでした。

W杯で「ベスト16」に入るのは大きな目標で、それまで日本はW杯においてグループステージを突破したことが一度もなかったのです。

日本はそれから何度もW杯に出場していますが、いまだに「ベスト16」以上の成績には達していません。