母への恩返しのつもり
実はのぶよさんは3年前に、賃貸マンションから現在の貸家(戸建)に引っ越した。以前の賃貸マンションではデイサービスなどの送迎が玄関ドアまでは不可という条件の下、段差で骨折する事故や、熱中症を発症したこともあり、のぶよさんの身に危険を感じていたからだ。今の家は道路から少し中に入るため静かで、木々に囲まれた落ち着いた雰囲気の戸建だ。
私もこの貸家にうかがったが、地方であることをふまえても6万円はかなり安いと思った。3LDKで、1階にのぶよさんがいる部屋とキッチン、そして2階には扶美さんの部屋と、のぶよさんの荷物置き場として2部屋ある。
家中のあちこちに貼り紙があった。2階にあがる階段には「のぼらない!」、冷蔵庫には「開けないで! 娘を待つこと」「マーガリンは冷蔵庫へ」、玄関には「他人様の家の花壇の花や葉をとらないで そのお家の人がお金をかけて育てた花にさわらない! ドロボーになる」などと記されている。私がそれらを眺めていると、「もう、いろいろあったから~」と扶美さん。文面から察するに、近隣の庭から花をとってしまったことがあるのだろう。
「でもここは近隣の人もいい人ばかりで。母の病状に理解を示してくれる人が多いんですよ。夜中に出歩くなど、おかしな言動があればこっそり私に教えてくれます。それに、ケアマネさんもよく相談にのってくれ、力になってくれました。あと地域の包括支援センター(包括)も。過去に義父が介護サービスを受けた際、地域の拠点としてその存在を知ったんです。今回も母がお金の管理ができなくなった時点で、包括に相談にいきました」
それでは、もしのぶよさんがいつの日か特養に入れることになったら、この住まいの賃貸契約を解約するのだろうか。
「そうですね……」と、扶美さんが言葉を選びながら応える。
「そうしたら、今自分たちが住んでいる持ち家を子どもに譲り、私たち夫婦がここに住むかもしれませんね。母の荷物をすぐには片付けられませんし。それに賃貸のほうが、後々自分たちが介護される側になって施設に移る時、ラクじゃないですか」
今の40代から60代くらいまでは子どもの世話になりたくないという人が圧倒的に多いように感じる。それが「介護を経験したから」または「介護する人を見たから」という理由であれば悲しいことだ。それだけ「家族の負担がある」ということである。
だが扶美さんとのぶよさんのやりとりは、見ているだけで楽しかった。まるで親と子が逆転したかのようで、そこに悲愴感はない。