この子の目の前には今、なんの理屈も忖度もない

「寝ていても私には聞こえる。起こされるの」と妻は言う。パパは疲れて熟睡していても、ママには聞き取れる絶妙の周波数で泣くようなのだ。

ともかく、これは高齢パパにはありがたかった。

一時期どこかの自治体が公園でたむろする不良どもを撃退するために流したという、若者にしか聞き取れないイヤ~なモスキート音にも通じるのかもしれない。

つらいのは、夕方から夜にかけて、わけもなく突然泣き出して、どんどんエスカレートしてゆく「黄昏泣き」だ。ミルクでもない、オムツでもない、どこかが痛いわけでもなさそう。さびしいのかと思って抱っこしても、まったく泣きやまないのだ。

今、2歳になった息子が泣くのは、なにかわけがあって伝えられないもどかしさからであることが多い。しかし、赤ちゃんの「黄昏泣き」はそういうのとは違う。この世に生まれ出て、これから遭遇するさまざまな苦労や感動やいろんなことが予告編のように現れて、

「ああ人生って切ないなあ」と言っているようにも聞こえる。

いや、それはあきらかに私の幻聴だ。56歳だから、「生まれ出た」ことに意味を見出そうと、理屈ばかりが浮かんでくる。この子の目の前には今、なんの理屈も忖度もないのだ。

仕方なく、気がまぎれるかなと、テレビのスイッチを入れる。お笑い番組を流す。意味はわからないだろうが、にぎやかにワーワー笑っている音は、イヤではないようだ。ひたすら腕の中であやす。腕が棒のようになり痛みが出る頃、スヤスヤ寝息を立てている。

こちとら人生の黄昏どきだが、現実はたそがれている時間などなかった。

※本稿は、『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました - 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)の一部を再編集したものです。


56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました - 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(著:中本裕己/ワニ・プラス)

息子が成人するとき、おとうさんは76歳! 残された時間がない、将来のお金がない、若い頃の体力がない「3ない」子育てのリアル。 不妊治療もしなかった中年夫婦が奇跡的に受胎。高齢出産の妻を襲うコロナ禍の不安、おたふく風邪からの心筋炎で母子とも生命の危機に!「老眼で赤ちゃんの爪切りが怖い…」ベテラン新聞記者がシニア子育ての苦労と喜びを実体験をもとに描く。