コミュニケーションは風通しの良さが重要
それにしても、私の喋りで怒りに聞こえるのなら、興奮したイタリア人同士の会話など、日本の人には憤怒のぶつけ合いにしか見えないのではないだろうか。
信じてもらうのは難しいかもしれないが、私がイタリアにいるときは、常に姑から甲高い声で「もっとはっきり思ったことを言ったらどうなのよ!何考えているかわからないじゃない」などとしばしば煽られる。
彼女の目には私は常に感情を抑え、言いたいことを言えていないように見えるらしいが、何より「考えていることがわからない」というのが苛立ちの要因となるようだ。
少なくとも姑の倫理にとって、言葉のやりとりを遮断されるのは許されないことらしい。嘘のつきあいであろうと何であろうと、コミュニケーションは風通しの良さが重要なのである。