一度きりの人生、諦めたらもったいない

俺は声を磨く作業を、「大きな彫刻を作っていくこと」によくたとえます。

それはとても根気のいる作業です。少しずつ、少しずつしか形になりません。それでも、10年、そして20年かけて訓練していけば、その先で「この声はあの人のもの」とわかってもらえる、唯一無二の声が完成します。

俺の場合、もともと個性的な声ではあったし、その意味でラッキーではありました。ただ、あらためて聴き比べてもらえばわかりますが、生まれついた声で歌っていたLAZY時代と、今の俺の声はまったく違います。

理想の声を求め、ここまで地道に作り上げてきたからこそ、今、この場所に立っていられている。もし、かつての可愛い声のままだったなら、この歳まで「歌で食う」ことは、できなかったに違いありません。

アニソンシンガーと認められてからも、石原慎ちゃん(慎一)のように、出だしを聞いただけで、「うまい」と実感できる名人や、宮内タカユキさんのように、難しいバラードを容易く歌い上げる達人と出会い、その都度、枕を噛むほど悔しい思いをしました。その上で自分の声を磨き、アップデートさせてきた。

才能も個性も、天分だけではない。それは確かです。トーマス・エジソンの「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」という名言にもあるように、俺は、才能のかなりの部分は努力を通じて作られるものだと考えています。

なのに最初から「才能がない」と思い込み、走り出す前に夢を諦めたら、努力することをやめてしまったら、そこでおしまいになってしまう。一度きりの人生、それではもったいないじゃありませんか。

※本稿は、『ゴールをぶっ壊せ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


ゴールをぶっ壊せ』(著:影山ヒロノブ/中央公論新社)

16歳でデビューしたバンドは4年で解散。そこからノーギャラライブや15年にわたるアルバイト生活を経て、今頂に立つ、アニソン界のパイオニア・影山ヒロノブ。苦難の先で出会った「聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム~」「CHA-LA HEAD-CHA-LA」、アニソンレジェンド、そしてJAM Project。なぜ諦めなかったのか? なぜファンは、そして世界は彼を愛するのか? だからもっと熱くなれ! その手で夢をつかみとれ!