生きている証は

書き始めた時は、最後まできっちり筋を決めてはいませんでした。でも、高齢者が負けてすごすご引き返す、という小説にはしたくなかった。歳をとれば、若い人の力を借りないと生きてはいけません。

だからといって、高齢者たちが卑屈になる必要はないと思うのです。また、メディアは「何歳になっても挑戦しよう」とか、「まだまだ自分磨きはできる」などと煽りますが、それはしょせん当事者より若い人たちの発想。それを誰もがまっとうできるように煽るのは賛成できません。

ただ、高齢になっても、何かしら他人のためにできることはあるはずです。「自分磨き」ではなく「利他」の生き方ができたら、残りの人生を充実させることができるのではないか。

「老害の人」は、利他を見つけることで少しずつ変わっていくのではないでしょうか。私自身、今まで多くの方々から教わってきたものを少しでも社会に還元し、伝える年齢なので、書きながら登場人物と自分を重ね合わせたりもしました。

「自分は多少なりとも人の役にたっている」と実感できれば、生きている証を得られるのではないか。残りの人生を、自分の力でいい時間にしよう。そんな思いをこの物語に込めたつもりです。