手紙を書くスピードは自然本来のリズム
少し話がそれますが、2022年の夏、八ヶ岳に山荘を建てました。標高1600メートルの土地にあり、家は自然に囲まれています。現在は東京の家とこの山荘を行き来する生活をしていますが、都会の暮らしと比べたら、八ヶ岳での生活は不便なことばかり。
一番近いポストに行くのにも車で10分ほどかかります。こんな場所まで郵便屋さんが手紙を届けてくれるのは、本当にありがたいことだと実感しているところです。
自然の中での暮らしは、おてんとうさま次第。八ヶ岳では、自分の都合よりも天気を見ながら生活するようになりました。でも、そんな自然本来のリズムに合わせた毎日が私にとっては心地よくて。実は、その穏やかなリズムは、手紙にも通じるもののような気がするのです。
キーボードが登場してから、文章を書くという行為が大きく変化しました。私自身、小説を書くときはパソコンを使っているので、手では絶対に書けません。そんな暮らしの中で、手で何かを書くという行為はもはや手紙にしか残っていない。だからこそ、とても貴重な時間だと感じます。
キーボードのようにスピーディではないけれど、手紙で文章を書くスピードは人間が本来持っているリズムに合っている。時代の流れから言えば、たしかに非効率的なのかもしれませんが、もし世の中から手紙という習慣がなくなってしまったら、どれだけ寂しくて味気ないことか。
先日も、叔母の気持ちを代弁した手紙を、叔父が送ってくれたんです。私が会いに行ったとき、叔母が自分の気持ちをうまく伝えることができなかったので、「あのときは、こういうことを言いたかったんだと思う」と、叔母の気持ちをきちんとくみ取って文章にしてくれて。そんな心温まるやりとりができるのも手紙ならでは。叔父からもらったこの手紙は、私の宝物になるでしょう。
『婦人公論』の読者のみなさんは、手紙に親しんできた方が大半だと思います。このところ遠ざかっている方も、あらためて大切な人に手紙を送ってみてはいかがでしょうか。形式にとらわれて間違いのない手紙を書こうとすると、ハードルが高く感じてしまいますが、手紙に「正解」や「間違い」はありません。
「可愛い絵葉書を見つけたから、あの人に送ろう」というくらいの気軽な気持ちでいたほうが、実は相手も気負わずに受け取ってくれるのではないでしょうか。
その小さなギフトが自分と相手の間を行ったり来たりするようになると、もっと書きたくなってくる。仲のいい友だちとちょっとしたプレゼント交換をするような感覚で、ぜひ手紙のやりとりを楽しんでください。