でも俺、あの時代は談志一門会が毎月あったから、国立演芸場や銀座のホールとかでしっかり噺家やってましたよ。落語を50本あげないと真打にはなれなくて、リストを出すんです。師匠が「これ」って指さすのができないとダメ。
それで「饅頭こわい」かな? 真打の試験に受かったのは。長屋に外国人が一人住んでて、それがいちいち出てきて何か口を出す、というコンセプトだった。師匠が健在なころは結構、よく呼ばれて会に出てたよね。
話がいきなり噺家時代に飛んだが、第2の転機は俳優の道に踏み入れたことになるのでは?
――まぁ、そうだね。初めて映画の仕事が来たとき、早起きが嫌いで歌手になったんだから、役者はいやだ、って言ったらお袋に「歌手は年取って声が出なくなったらおしまいだけど、役者だったら80歳になっても80歳の役があるんだよ」って言われて、なるほどと思ってね。それでずっと続いてる。
最初の映画は岡本喜八監督の『結婚のすべて』で、クラブでロカビリーやるシーンがあった。それから続けて喜八さんの映画に十何本出てる。
役として気に入ってるのは原田眞人監督の『KAMIKAZE TAXI』。殺し屋の役で、キネマ旬報の助演男優賞をもらったからね。