不幸は「バーチャル・リアリティ」で楽しむもの

これだけの大きな揺り返しが来ても、銀行の債務や省庁の再編成をどうするか、という話ばかり盛んなのは、シワの出た顔にどういう化粧品を使ったら年を誤魔化(ごまか)せるかという、おしろいを更に厚塗りする話のような気がする。

健康状態をよくして肌の張りを取り戻すか、どうしてもだめなら、せめて美容整形の手術を受けるぐらいの勇気はいるだろう。

曽野綾子「人生には寒暖の差もあれば別離の悲しみも病苦や貧困の苦悩もあるはずなのだが、多くの人たちには不幸はバーチャル・リアリティで楽しむものになり、事実存在感が希薄である」(1963年9月撮影、本社写真部)

日本人は、とうの昔に人生を愛する心をなくしているような気がする。

その人生とは、当然のことながら紛れもない実人生で、寒暖の差もあれば別離の悲しみも病苦や貧困の苦悩もあるものであるはずなのだが、多くの人たちには不幸は「バーチャル・リアリティ」(仮想現実)で楽しむものになり、事実存在感が希薄である。