たった1人で台湾へ

新たな環境を探していた最中(さなか)、ある企画の情報を得た。「日本人モデルとして海外でオーディションを受け、活動する」という内容で、すぐに参加を決めた。海外での活動に以前から興味があったわけでも、英語が話せたわけでもない。

すみれの花、また咲く頃

しかも、10代や20代前半のモデル経験者である他の参加者たちの中で、30代前半になっていた宝塚出身の中原さんは、やや異色の存在だったそうだ。

「冷静に考えたら、無謀ですよね。日本で活動することだって難しいのに。でもやってみたいって気持ちがむくむくと湧き上がって」

この企画はきっとチャンスになるという自分の直感を、中原さんは信じた。

最初に、シンガポールとタイへ渡った。エージェントと他の参加者とともにひたすら芸能事務所のドアを叩き、それぞれがモデルとしてアピールするものの、すぐには契約に繋がらない日々が続く。そんなふうに多くの芸能事務所を回る中で、唯一、とある事務所が興味を示したのは中原さんだったのだ。「他の人より条件が悪い」と危惧していた彼女は驚き、若い経験者だけが有利だという考えが自分の思い込みだったと気がついたという。

そこでは事務所との契約までには至らなかったものの、わずかだが確かな手応えを感じた中原さん。次の渡航先となった台湾では、なんと大手事務所2社からオファーをもらうことができた。

「まずは半年間、台湾で語学留学をしようってすぐに決めました。台湾には何度も旅行に行ったことがあって、大好きな国だったので、何の迷いもありませんでした」

自力で見つけた新たな道は、ようやく彼女の心を昂らせた。