道を外れるのは「卒論」の時点で決まっていた?

発想自体は悪くない。今でもそう思っています。

同級生で同業者の家内も同意見です。なお、彼女によると、ぼくがこれまで書いた論文の中でも卒論が一番だそうで。それはそれで問題ですね。

一方で、恩師の五味文彦先生はあまり評価してくださいませんでした。『史学雑誌』に掲載を許されたのですが、論文でなく、研究ノートとして扱われてしまいました。

思えばそれも含めて、「卒論」の時点で、ぼくが学士院会員への道を外れていくのは決まっていたのかもしれません。もはや取り返しのつかぬことですが(苦笑)。