なぜ頼朝は鎌倉入りを果たすことができたのか

私は学生の頃、わずか四二日の間に、なぜ頼朝は東国の武士たちを次々と従え、ほとんど奇跡とも呼べる鎌倉入りを果たすことができたのか、恩師である石井進先生に聞いたことがあります。

「石橋山・江島・箱根図」。狩野〈養川院〉惟信筆、東京国立博物館所蔵、colbase) 

日本中世史の研究者のなかでも特に「えらい」学者だった石井先生ですから、一介の学生にすぎない私たちは、おいそれと口を利くなんて、とてもではないですができません。ですから、本当にわからない問題しか石井先生に質問したことはありませんでした。

その数少ない私の問いかけに対して、石井先生は、「いや本郷くん、それが説明できたらあの時代を理解することができたということなんだよ」と答えて、それ以上は教えてくれませんでした。

このときに石井先生がどんな解答を持っていたかは、私にはいまだにわかりません。ですから、あらためて私なりに考えざるを得ません。