お正月には必ず同じマンションに暮らす女優さんたちと集まった。左奥から時計回りに奈良岡朋子さん、石井さん、若尾文子さん、京マチ子さん(写真提供◎石井さん 以下すべて)
女優の奈良岡朋子さんが、23日に肺炎のため都内の病院で亡くなりました。享年93歳。奈良岡さんは、1948年に民衆芸術劇場の俳優養成所に研究生として入団。以降、女優として舞台や映画、テレビへの出演やNHK朝ドラのナレーションを務めるなど活躍の幅を広げ、2005年の舞台『ドライビング・ミス・デイジー』では、第60回記念芸術祭賞大賞、第47回毎日芸術賞、 第5回朝日舞台芸術賞を受賞。 近年は『黒い雨-八月六日広島にて、矢須子-』(原作:井伏鱒二)の一人語りを行っていました。奈良岡さんが代表を務める劇団民藝の公式YouTubeチャンネルにて、昨年製作されたドキュメンタリー『ある女優・奈良岡朋子』が4月5日まで公開予定です。今回は『婦人公論』2021年9月28日号掲載の、奈良岡さんと同じマンションで暮らしていた石井ふく子さんのインタビュー記事を再配信します。


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『ありがとう』『渡る世間は鬼ばかり』など、数々のホームドラマをヒットさせ、現在も現役で仕事を続けるプロデューサーであり演出家の石井ふく子さん。公私にわたって、長年、俳優や作家など、多くの方と交流を深めてきました。エピソードから見えてきた、石井さん流の友だちづきあいの哲学とは(構成=篠藤ゆり)

電話で他愛ない話をするだけで

この9月で、95歳になりました。一番古い友人は、日本舞踊で同門だった方。山岡鉄子さんといって、私とは「ふーちゃん」「鉄瓶」と呼び合う仲(笑)。私は4歳の時に日本舞踊を始め、学校が大嫌いでしたので、踊りに熱中していました。

立役が多かったのですが、おさらい会の時にいつも相手役になってくれた1歳上の彼女とは、90年近く友人関係が続いています。今は都内の高齢者施設で暮らしていますが、私が演出した舞台は必ず観に来てくれるのです。

私も一時は踊りで身を立てたいと思っていたのですが、足を痛めて諦めることに。その後、短期間ですが「女優時代」があります。19歳で終戦を迎え、戦後、就職先を探している時、ご縁があって「新東宝ニューフェース」に選んでいただいたのです。まぁ、女優は向いていなかったと思いますが。

当時、新東宝で2年後輩だったのが女優の香川京子さんです。私がプロデューサーとして初めてテレビドラマを手掛けたのは、1958年、東芝日曜劇場の『橋づくし』。香川さんにも出ていただきました。考えてみたら香川さんとは、かれこれもう70年以上のおつきあいになります。家庭のことなど、プライベートなお話を伺うこともあるし、今も「最近、どうしてる?」などと時々お電話でお話しします。

今この世の中で、そうそう友人と会うこともできません。先に逝かれた方もいるし、体調を崩している方も。とくにコロナの時代になってからは、人と会いにくくなっています。それでも時々「どうしてる?」「ちゃんとご飯食べてる?」「今日は何食べたの?」などと電話で他愛ない話をするだけでも、心が温かくなります。

声を聞けるというだけでも、ありがたいですね。私はひとり暮らしですし、年齢を重ねれば重ねるほど、人間関係は財産だなと感じます。

日本舞踊を通じて90年来の友人である山岡鉄子さん(左)と石井さん。ともに10代の頃の貴重な一枚