なぜ信長はすぐに撤退したのか
疑問その三。なぜ信長はすぐに撤退したのか?
信長の兵は3万。対する朝倉は1万3000くらい。浅井はどうがんばっても5000がいいところ。
ならば軍を二つに分け、2万で朝倉に対峙し、残り1万で浅井勢を蹴散らして美濃に帰れば良いのでは? それなのになぜ一目散に逃げだしたのか?
実はこの話、以前、自衛隊の作戦室のみなさんとお話しする機会を得たとき、疑問としてお尋ねしたことがありました。
すると、現役の一佐が「ぼくには信長の判断は分かりますね。挟撃は怖い…」と仰いました。
具体的にどう、という説明はなかったのですが、眼光鋭く目前でそう述べられると、ぼくの机上の空論などたちどころに吹っ飛びます。
きっと話は逆で、「挟撃というのは怖いものである。兵数とかを超えて。信長の事例がそれを物語っている」というふうに論理を展開させていくべきなのでしょう。
『「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。