『論語』の解説書を日本にもたらした、遣隋使・遣唐使

孔子は生きている間に一切本を書かなかったのですが、お弟子さんが師の言葉を覚えていて、本にして残してくれたんですね。その代表が『論語』で、いいことがたくさん書いてあって、ああ人間はこう考えて生きればいいんだということが読むとよくわかります。

ただし内容は難しく、2500年もたっているので解説書も膨大な数に上っています。代表的なものが三つあって、その一つが『論語疏(そ)』です。解説書のことを「疏(そ)」といいます。

この『論語疏』は今から1200~1300年前、日本人が中国で買って持ってきたものが現存しています。実は中国ではこうした本は、数百年に一度は起きる革命などの争いで散逸してしまい、残っていないそうです。ところが日本に『論語疏』が保存されていたんですね。

こうした書物を中国から持ってきたのが、きょう取り上げる遣唐使、遣隋使です。作家の井上靖が『天平の甍(いらか)』という本に書いていますが、当時の唐、中国は世界で最も進んだ国で、首都長安、今の西安には世界中の人が行き交っていました。進んだ文化に魅力を感じて、日本から優秀な僧侶を遣隋使、遣唐使として中国に派遣したのは、7~9世紀の200年間余りです。資料にあるのは、平城京ができて1300年を記念して造られた船の写真です。

遣唐使を派遣した船を再現したのですが、嵐がきたらひっくり返りそうですね。

実際に、派遣された人のうち無事帰った人は半分いたかどうかで、海に投げ出されたり、慣れない気候で病気になったり。それでも希望者が殺到し、必死の思いで最先端の文化を学んで帰ってきたのです。これを進取の気性というのでしょう。中2でやりましたね。新しいことに取り組もうという精神で、その進取の気性が創造力につながるのです。

 

※本稿は、『伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


伝説の校長講話――渋幕・渋渋は何を大切にしているのか』(著:田村哲夫/聞き手:古沢由紀子/中央公論新社)

「共学トップ」渋幕、渋渋。両校の教育の本質は、「自調自考」を教育目標に掲げたリベラル・アーツにある。その象徴が半世紀近くも続く校長講話だ。中高生の発達段階にあわせ、未来を生きる羅針盤になるよう編まれたシラバス。学園長のたしかな時代認識と古今東西の文化や思想、科学への造詣――前半は、大人の胸にも響くこの「魂の授業」を再現。後半は読売新聞「時代の証言者」を大幅加筆。銀行員から学校経営者に転じた田村氏が、全く新しい超進学校を創り、育ててきた「奇跡」を振り返る。