重要な決定をくだす必要はない

最初からそう思えたわけではないが、次第次第にそう思うようになった、という方が正しいだろう。

30代半ばの曽野綾子さん。(1966年9月撮影。写真:本社写真部)

私は学者でもなければ、政治家でもない。総理大臣だったら、原発が津波で機能を破壊されれば、その後の処置に対して即断をしなければならないところだが、一市民なら幸福なことに、そんな重要な決定をくだす必要はないのだ。

そうしたことがどれほど人間として必要で、ささやかながら折り目正しく、かつ偉大な幸福の理由か、世間はあまり自覚していない。

迷う時間、わからないという判断を人として許されているということは端正な自由である。

その素晴らしさを、とことんわかってもいいと思うのだが。