筆者の関容子さん(右)と

お客を絶対に笑わせないようにしよう

柄本さんが初めてこの道に入ったのは、金子信雄・丹阿弥谷津子夫妻が主宰する「新演劇人クラブ・マールイ」だった。柄本さんの初舞台の演目は何でした?

――えっ? 何だろう(笑)。あ、そうだ。テネシー・ウィリアムズの『ロング・グッドバイ』にちょこっと出たのが初舞台ですね。でもマールイにいてもあんまりやることがなくて、大道具のアルバイトに精出していたんです。

で、このまま裏方の仕事をしていくのかな、と思い始めたころに、なぜか題名を覚えてるんですけど、『傀儡戯恋江戸染(くぐつばなしこいのえどぞめ)八百町お七』って斎藤憐さんのホン。そこに出演して、串田和美さんから「ちょっと芝居作るんで稽古場に来ないか」って言われたんですよ。

串田さんはそのころ第二次自由劇場のためにいろんな役者を集めてて、それが佐藤B作とか笹野高史とか、吉田日出子さんとかなんです。

そのころ、串田さんの俳優養成所があって、その第一期生にベンガル、高田純次、イッセー尾形、萩原流行、綾田俊樹なんかがいたんです。彼らは僕より先にいたんだけど、僕も岩松了も、いきなり劇団のほうに入りましたからね。