その後、ベンガルや綾田俊樹とで「東京乾電池」という劇団を作った時も、自由劇場時代みたいに全部即興で芝居を作ってた。
渋谷のジァン・ジァンで、もう出るだけでお客さんがブワーッと笑うようになって。これは絶対危険だな、と思って、岩松了に「お客を絶対笑わせないようにしよう」って相談するわけですよ。
面白かったり頑張ったりしないで、なにか収まり切れない、頑張らない芝居をしよう、って。岩松了はもともとそういう要素があったんですね。大変なホンを書く人だと思います。
その自由劇場時代。18代目中村勘三郎さんが20歳のころに自由劇場で観た即興芝居『マクベス12』は、柄本明・笹野高史のコンビ演じるゲイの囚人二人が護送車の中で手錠をかけられたままお互いをなじり合う、というもので、「椅子から転げ落ちるほど笑った」と勘三郎さんから聞いたことがあった。
――勘三郎さん、その頃、太地喜和子さんと付き合ってて、二人で観に来て、大笑いしたってあとから言われた。嬉しかったですね。
僕と笹野はよくコミック組まされて、相談なしの即興でやるんだけど、稽古場でも大笑いされて、20日間の公演でも結構ウケてたんですよ。勘三郎さんとちゃんと出会ったのは、テレビ映画『森の石松』に、多分、勘三郎さんの口ききで呼んでいただいた時です。
あぁ、もしかして第二の転機は勘三郎さんとの出会い、かもしれないな。