植物を愛し、慈愛の心を養う

植物に趣味を持つようになるのはその植物を知らねばならぬ。多少にても草木について知識ができれば、したがって趣味は生ずるものである。世人はわが本業のかたわら、娯楽として草木に趣味を持つようにしたらどんなものだろう。

もし世人がしかせんものと思わばこの趣味深き草も木もいたる処に吾人(ごじん=わたしたち)を待っている。植物に趣味を持つようになれば植物を愛するようになる。植物は意味の深き天然物である。この微塵の罪悪も含まぬ天然物を楽しむことから、どれほど吾人の心情を清くかつ貴くするかほとんど量られぬ。

醜悪なる娯楽よりこの清浄なる娯楽に転ずることは、人間として最もたいせつなることである。我輩はこのごとく天然物を娯楽の目的物として大いに高潔なる心情を養われんことを世人に勧めたいのである。

草木を愛するようになればこれによりて確かに人間の慈愛心を養うことができると信ずる。植物は生物である。生長するものである。これを好くようになればそれが可愛くなる、可愛く思うのはすなわち慈愛心の発動である。一たび発動すればこれを助長することができる。すなわちついには大慈悲の心を養うことができると思う。

『随筆草木志』(著:牧野 富太郎/中公文庫)