イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「サード・パーソン」。ママ友と長文のメールをやりとりするうち、ある時から自分の娘の話ばかりするようになり――。(絵=平松麻)

彼女がかかえる複雑な事情

ママ友からのメッセージが長い。メールなのかと思うほど長大だ。

しばらく音沙汰のなかったママ友との交流が復活した。彼女の娘とうちの息子は同じ小学校に通ったが、中学は別々だったので会うこともなくなり、またカレッジ(日本でいう高校にあたる)で合流したのである。

5年の間に、お互いの生活もすっかり変わっていた。わたしは保育士ではなく、物書きになり、彼女はパートナーと別れ、シングルマザーになっていた。それで最初はお互いの近況を伝えるために、メッセージが長大になった。まあ、それはしかたがないだろう。子どもが小学生の時代は、送り迎えをしなければいけないので、毎日のように顔を合わせる。けれども、中学以降は、学校のボランティア活動をするとか、そういうことでもない限り、保護者どうしが会う機会はない。

だから、「本当にいつまでも付き合うママ友は、子どもが小学校時代にできる」とよく言われる。確かに小学校時代のママ友とは、話す内容もずっと親密になる。それゆえ、小学校の校庭で子どもが校舎から出てくるのを待ちながらしゃべっていた時の感じでメッセージを打ってしまうと、やたら長大になってしまうのだ。

最初に彼女の娘について聞いてみた時から、何か複雑な事情があるのだろうという感触はあった。あまり話したくない雰囲気が感じられたので、それとなくそこは回避するメッセージのやり取りに終始していた。