「健康にいいか悪いか」が世の中を変える

このリスクを回避するためには、頻繁に立ち上がって体を動かしたり、歩いたりして、椅子に座りっぱなしの時間を減らす努力が必要だという。そう言えば、わたしは最近、コワーキングスペースで仕事をすることがあるのだが、そこにはマイデスクを持ってきてオフィスシェアをしている人たちの部屋もあり、たまにこういう部屋を覗くと、やたらと背の高いデスクを持ち込んできている人たちがいて、立ったままで仕事をしている。中には、体の両脇に背の高いテーブルを置いて、立ったまま右手でパソコンを打ちながら、左手では別のモニターに繋がったキーボードを打っている人とかもいて、まるでライブパフォーマンスをしているミュージシャンかDJみたいだと思うこともあるが、ああいう人たちは、すでに座りっぱなしの危険性を意識し、働き方改革を行っているのかもしれない。

しかし、こうしたことが一般化していけば、世の常識が一変する可能性もある。たとえばいままでは、じっと机に座っていられない子どもは落ち着きがないとか、集中力に欠けるとか言われたものだが、座りっぱなしがよくないということになると、健康に気をつけている模範児童ということになる。また、電車やバスの中でお年寄りに席を譲ることは美徳だと考えられているが、将来的には高齢者の健康について配慮していないと見なされるかもしれない。公共交通機関の壁に厚生労働省が「SITTING KILLS(座ると死にます)」の広報ステッカーを貼る時代が来ないとも限らないのだ。

また極端なことを、と思われるかもしれない。だが、喫煙だって半世紀前には「クールで知的」ともてはやされていたし、飲酒だって人づきあいを支えるものと捉えられていたのだ。それがいまや、喫煙はダサくて頭が悪そうな習慣と見なされ、飲酒はハラスメントに繋がると眉をひそめられる時代なのだから、人々の認識は180度変わる。目上の人やお偉いさんは椅子に座らせ、下々の者は立っておけ、というような風習だってすぐに「時代遅れ」になる可能性がある。

そう思えば、世の中のあり方を根底から変えるのは、「正しいかどうか」ではなく、「健康にいいか悪いか」なのかもしれない。心配は革命を起こす。