誰が信康と築山殿を処断したのか? 最新の研究結果によるとーー(提供:PhotoAC)
松本潤さん演じる徳川家康が天下統一を成し遂げるまでの道のりを、古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第23回では瀬名(有村架純さん)が武田の使者・千代(古川琴音さん)と密会していると知った五徳(久保史緒里さん)は信長(岡田准一さん)に密告。すると信長は、水野(寺島進さん)が武田と内通していると言いがかりをつけて家康に迫り――といった話が展開しました。

一方、静岡大学名誉教授の本多隆成さんが、徳川家康の運命を左右した「決断」に迫るのが本連載。第2回は「誰が信康を処断したのか」についてです。

実態が解明されていない「松平信康事件」

高天神城をめぐる勝頼との抗争の最中である天正七年(一五七九)に起こったのが、いわゆる「松平信康事件」であった。

八月二十九日にその生母である築山殿が富塚(浜松市中区)で殺害され、ついで九月十五日には信康が二俣城(同天竜区)で自刃させられたというのが事件の結末であった。家康にとっては正妻と嫡男を失ったということで、事情の如何を問わず、痛恨事であったに違いない。

ところが、そのような重大事件であったにもかかわらず、『家忠日記』を除いて信頼できる関係史料がなきに等しく、その実態はいまだ十分には解明されていない。

おそらく家康が天下人になり、「神君神話」が広がっていく中で、徳川氏にとって禍根・汚点になるような出来事については、関係史料の廃棄・隠蔽が行なわれたからであろう。