「帰省となったら飯坂温泉駅前で僕が挨拶すると、もう黒山の人だかり」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第17回は俳優の佐藤B作さん。自由劇場をやめ、自分たちの劇団を作って活動を始めた佐藤さん。萩本欽一さんと出会い、TVに出たことで、一気に知名度が全国的になったそうで――(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

消防自動車で故郷をパレード

自由劇場を2年半でやめたB作さんは、気心の知れた男たち5人で73年、「劇団東京ヴォードヴィルショー」を創設する。これが第2の転機?

――いや、もう少し先ですかね。花王おさむ、坂本あきら、魁三太郎、三木まうす(現・佐渡稔)と、地方出身者ばかりの集まり。劇団名のアタマに「東京」を持ってきたのは、ニューヨークみたいなおしゃれでモダンなイメージとしてなんです。その後すぐ、柄本明も「劇団東京乾電池」を作りましたからね。

劇団を作って、渋谷のプルチネラっていう喫茶店でコントや歌の「ヴォードヴィルショー」をやったわけですが、それが大外れ。始まってもシーン。終わってもシーン(笑)。

でもその後だんだんお客さんが来るようになって、青山のVAN99ホールへ移るんです。そしたら、つかこうへいさん、永六輔さん、堺正章さんとかが観てくれるようになりました。

そこへ第1期の研究生募集で入ってきたのが山口良一です。彼はのちに萩本欽一さんの『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の《良い子》として番組に出るようになるんですが、僕が座長として萩本さんにご挨拶に行った、というのが第2の転機だと思いますね。