筆者の関容子さん(左)と

この時、座長は33歳。Gパンに野球帽といういでたちだった

――ええ、劇団の座長というから赤ら顔のハゲ親父が来るかと思ったら、シャイな若者が来たんで驚いたらしいですよ。それがTBSの『欽ちゃんの週刊欽曜日』にレギュラーで出るようになったキッカケです。《欽ちゃんバンド》というコーナーが人気になって、知名度が全国的になりました。

以前はお袋から、「お前は大学を卒業して会社に就職したことになってるから、お正月でも近所が寝静まったころに帰って、翌朝には始発電車で東京に戻りなさいよ」なんて言われていたんです。

それが一転、サインを山ほど頼まれていて、帰省となったら飯坂温泉駅前で僕が挨拶すると、もう黒山の人だかり。ウワーッって大喝采で、消防自動車をオープンカー代わりに、街を一周。カンカンカンって。(笑)