誰も犠牲にならない「家族」がいい

実家が大家族だったということもあって、私自身は人と暮らすことがぜんぜん苦にならないタイプ。

上京してからも、誰かと同居していた時期と、ひとり暮らしの割合が半々くらいでした。

結婚はしなくてもいいけれど、パートナーであれ友だちであれ、誰かと住もうとはずっと思っていたんです。

夫婦でなくても、血が繋(つな)がっていなくても、一緒に住めばもう家族。そんな感覚が、私の家族像かもしれません。

その代わり、互いに個々を尊重し合って依存しすぎず、ひとりの時間もスペースもちゃんと確保する。

誰かと一緒に住んでいることは心地よいけれど、それでも、ひとりになれる時間やパーソナルスペースはしっかりほしい。このバランスが必要だし、大切だなと思っています。

「家族だから」という理由で、誰かが犠牲になったりしない――。

そんな関係性を目指したいですね。

そして、周囲がもっと気兼ねなく干渉できる社会になったら、本当に最高だと思う。

もしかしたら私、おせっかいおばちゃんになりたいのかもしれないですね(笑)。

※本稿は、『「わたしはわたし」で生きていく。』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。


「わたしはわたし」で生きていく。』(著:バービー/PHP研究所)

本書は、「結婚って何だろう?」「外見って大事?」「友だちって何だろう?」「老後の不安ってどうしたら消えるの?」「セックスって大事なの?」など、生きていく上で、誰もが一度は気になるさまざまな悩みに答えた、自己啓発的エッセイです。