目指したのは「金太郎飴」のようなチーム

駅伝はチームスポーツ。飛び抜けたエースはいなくても、メンバー全員が粘り強く、区間上位で走れば、結果はついてくるはずと信じた。

そしてケガで走れない選手が出ても、代わりとなる選手が同じくらいのレベルで走れるように、選手層の厚い「金太郎飴」のようなチームを目指した

『必ずできる、もっとできる。』(著:大八木弘明/青春出版社)

それを徹底したことで私のコーチ就任後も箱根駅伝への出場を続けられただけでなく、少しずつ順位を上げていき、2000年大会では初優勝を果たした。そして2002年からは4連覇を成し遂げている。

それとほぼ同時期に、現在、駒澤大学で監督を務める藤田敦史(ふじたあつし)がマラソンで学生記録を更新した。

藤田は卒業後も私のもとで競技を続け、2000年にはマラソンの日本記録(ともに当時)を樹立している。

2000年代半ばにはその実績から「ロードの駒澤大学」、「平成の常勝軍団」と言われるまでにチームは成長した。

10年間でここまで作り上げることができたことは今でも私の誇りである。

〉〉〉 心のおごりが衰退を導く