毎朝台所に立ち、いりこの味噌汁を作る

駆けっこと読書が好きだった

1920年4月29日、広島県は府中市上下町(じょうげちょう)の生まれです。父は逓信省に勤めていました。今の郵便局ですね。母は細々と農業を営んでおりました。私は4人きょうだいの2番目で、上に兄、下に弟と妹がいます。

小さいころは、とにかく遊びまわっていました。学校から帰ると妹の桃ちゃん(桃代さん。現在96歳)を背中におぶって外に飛び出すんです。私ね、足が速かったの。学校では徒競走の選手だったから、放課後も張り切って練習してね。友だちとの駆けっこでも負けるわけにはいきません。トットットッと全速力で走っていると、近所のおばちゃんたちが目を丸くして「哲ちゃん!そがん駆けたら、桃ちゃんがベロを噛んで死ぬるぞお」って。(笑)

貧しかったけれど、温かい家庭でした。父は、5時きっかりに仕事を終え、なじみの魚屋さんで買い物をして帰ってくるんです。当時の父親としては珍しく、自分で魚をさばいておかずの用意をするの。夏に、2階の物干し台で、弟を隣に座らせて、刺身をつまみに一杯やっていた姿が忘れられませんねえ。

おなごは仲間に入れてもらえないから、ちょっとうらやましくて。農作業を終えた母が帰ってくると、私と桃ちゃんと一緒に父の焼いてくれた魚をおかずに夕飯を食べたもんです。

贅沢はできませんでしたけど、本だけは買ってもらっていました。月に一度、50銭もらって『幼年倶楽部』を買いに行くのが楽しみで。9つ年上の兄も帰省するたびに本をお土産に買ってきてくれるんです。

特に好きだったのは、『ロビンソン・クルーソー』。家の手伝いも忘れて読書に没頭するもんだから、よく父に叱られました。