会葬に出かけるのは体力と相談しながら

上野 わたしは最近、「葬」に行くのもやめました。でも、尊敬していたり、好きだったりした人には、自分なりにさよならを伝えないと、けじめがつかない。それで、京都にある山野草で盛花をつくる店にお願いして、四十九日が過ぎた頃にお届けしてもらっています。

お葬式のときはお花が山のように来ますから、それがなくなる頃を見計らって、お花を贈るんです。それでさよならを言った気分になるという、わたしひとりの「別れの儀式」ですね。

樋口 私は親しい人が亡くなると本当に悲しくて、できるだけお葬式にも追悼会にも行きますが、そろそろ体力が限界ね。あと1年くらいのうちに死んでくれたら行くけれど。

上野 体がもたないという予感があるということですね。つまり、会葬のやめどきは体力に決めてもらう、ということ。

※本稿は、『最期はひとり 80歳からの人生のやめどき』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。


最期はひとり 80歳からの人生のやめどき』(著:上野千鶴子・樋口恵子/マガジンハウス)

家族をやめてつきあいをやめて自分をおりて……
さいごは身ひとつで見果てぬ夢を見続ける。
これ、良き人生。