今回のことの理由は公表されていないのだけど、他の舞台の中止を見かけるたび、本当に、舞台の人にとって安心して道を進んでいくことがとても困難な時代になってしまったなぁ、って思う。なにもかもひたすら積み重ねていくことでしか進めないときって人にはあり、才能だとか天賦のものとか、いろいろ言われるけれど、書き続けなきゃうまく書けないし、踊り続けなきゃうまく踊れないし、歌い続けなきゃうまく歌えないのだ。そんなのは当たり前のことで、人が、他者の身体表現に胸を打たれるときに感じる尊さは、その表現の素晴らしさを、その人の「人生」の厚みと共に受け取れるからこそのものなんじゃないか、って思う。自分が決めた道をずっとなぞること、作る・表すという作業を重ねていくことでしか出てこない答えというのはあって、けれど、その「続ける」ということが、それを決意して選ぶだけじゃ(それだけでもとても大変で、人生を選び取ることなのに)もはや貫けなくなっている。その人の覚悟とは関係ないところで、静かな歩みを阻害されたり、歪められたりすることが、私は見てるだけでも耐えられない。本当にそんな日々が早く終わればいいのに……と思う。これは単なるファンとしてというより、ものを作る人間として、いくらなんでもあんまりだと思うから。何かを表現する人の多くは、いつも自分が自分ではない何かになっていく感覚と共にあり、「夢」そのものを自分が見ること、そこにとてつもなく誠実で正直であり続け、全てを賭けていくことが当たり前に求められているのかなと感じる(舞台も執筆も)。たとえ辛いことやうまく行かないことが多くあっても、その日々に、生きていく清々しさや、楽しさを感じる瞬間がある人が、ずっと走り抜けていくのかなって。私はそうした世界の人たちが好きだし、私もそういう世界の人だし、せめて全ての作り手や表現者の「道」にある霧は晴れてくれよと思うんだ。