「俺なら、地上に目標を見つけて自爆する」

飯田の部下だった藤田怡與藏(いよぞう)中尉は、私に次のように語っている。

「真珠湾に向け航海中、われわれ搭乗員は暇なので、よくミーティングと称して飯田大尉の私室に集まっては、いろんな話をしていました。あるとき、分隊長が『もし敵地上空で燃料タンクに被弾して、帰る燃料がなくなったら貴様たちはどうする』と問われた。

昭和15年10月5日、成都空襲から漢口基地に帰還し、胴上げされる飯田大尉
(写真:『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人々は何を語ったか』より)

あらかじめ、被弾して帰投不能と判断したら、カウアイ島西方のニイハウ島に不時着せよ、そうすれば味方潜水艦が収容に来るから、と言われていましたが、そんなのはあてにならない。みんなああでもない、こうでもないと話をしていると、分隊長は『俺なら、地上に目標を見つけて自爆する』と。

それを聞いてみんなも、そうか、じゃあ俺たちもそうなったら自爆しよう、ということになりました。ごく自然な成り行きで、悲壮な感じはなかったですよ」