肯定してくれる人との出会い
さらに、エンパワーメントすることも、情報や生きる術をシェアすることと同様に、相手の大きな力になるものだろう。小説家の柚木麻子さんに、「GUCCIを着て格差を語りなよ」と言われたことがある。それは、私を呪いから解き放ってくれた言葉だった。貧困育ちだと、自分はずっと豊かにはなれない、という決めつけを無意識に自分でしてしまうのだ(もちろん、世間からそんなメッセージを受け取ることもある)。それが知らず知らずのうちに呪いになっていく。「あなたは豊かになっていい」というメッセージは、私をエンパワーメントしてくれた。柚木さんは私がどんな野望を言っても、「できる!」と肯定してくれる。そういう人との出会いが、人生を豊かにするのだと思う。私が書き手になったのも「あなたの体験には価値がある」と言う人と出会ったからだ。自分では気づかない可能性を見出してくれる人との出会いで可能性は開かれていく。
私が貧困家庭で育った体験を書くようになって感じたのは、「貧困家庭で育ったなら、夢なんて持たずに安定だけを求めて堅実に生きるべき」という圧だ。やりたいことを追うなんて考えずに、やりたくないことをやって、会社員としての安定を得るべきだという主旨のことを何度か言われたことがある。
「貧困なのにライターかよ、自ら貧困を選びに行っている」と何度言われたことかわからない。夢を持ち、やりたいことを追うことは贅沢品だと言うのだ。芸能人でも貧困家庭出身の人はいるが、成功したら「貧しいのに夢を諦めなくてすごい」「夢がある話」なんて言われるが、上手くいかなかったら、「安定の道を選らばなかったからだ」などと揶揄される。
貧困層は生き方を制限されてしまいがちだ。何をするにしてもリスクはある。でも、社会が発展し豊かになっていくためには、リスクをとっても、多様な人が挑戦できるほうがいいに決まっている。安全な道を行けと言えば、将来の芽を摘み取ってしまうのかもしれない。「貧困でも夢を諦めなくていい」と応援してくれる人がいれば、当事者にはエンパワーメントになる。夢を持つことは、生きる意欲を産むのだと思う。
経済的な貧困は関係性の貧困とも地続きだ。誰かが気にかけてくれているという事実そのものが、きっと人生を支えてくれる大きな力になると信じている。
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