写真提供◎AC
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第43回は「想像力について考える」です。

前回「ヒオカ「ここはあなたが座る席じゃない」優先席の権利を他人が決めるべきなのか。見えない不調を持つ人には「圧」でしかない」はこちら

優先席を巡る様々な問題

先日書いた<「『ここはあなたが座る席じゃない』優先席の権利を他人が決めるべきなのか。見えない不調を持つ人には『圧』でしかない」>という記事で、優先席を必要とするのは見た目で分かるハンデを持った人だけではなく、見た目では分からない様々な事情を持った人もいるため、健常者に”見える”人に、ここに座るべきではないと注意するのはよくない、ということに触れた。

最近、優先席を巡る様々な問題が、大きな議論になっている。例えばジョージア駐日大使の男性が、空いている車内で優先席に座っている動画を投稿したところ、「健康な人は優先席に座るべきでない」、「空いていたら誰でも座っていていい。必要な人が来たら譲ればいい」という意見に分かれて大激論となった。
さらに、優先席に20代の女性が座っていたところ、70代の男性が「立て」と怒鳴り、あげく女性の髪を引っ張って暴行を加えるという事件も起きた。 

先日の私の記事にも、様々なコメントがついた。見た目では分かりにくい疾患や怪我、障害を持った人が、見た目では分からないため優先席に座っていると注意されたり、譲って欲しいと頼まれることがあるという体験もいくつか寄せられ、なんとも胸が痛んだ。

寄せられた意見で気になったのは、「健康そうに見える人が優先席に座るのを注意するのは、本当に必要な人に座ってもらうための善意。事情があるなら、注意された時に説明すればいい」「事情を説明すれば分かってもらえる」というものだ。というのだ。疾患や病気であれば手帳は作れるし、それを見せれば注意してきた相手も納得する、という。

この「説明すればいい」という意見には、色々と思うところがある。年に1~2回しか優先席を利用しない人なら、確かに健康だと勘違いされても説明すればいいのかもしれない。でも、それが週3~4回、あるいは毎日となったらどうだろう。これも立場によって、説明するという行為の負担が大きく異なるのではないか。