チームの解散と金銭的援助の喪失
しかしその後、研究費不足でチームは解体され、バーナサン氏は、大学を辞めてバイオテク企業に転職していった。
「やっていることがあまりに斬新すぎて、お金をもらえなかった」
とカリコ氏は振り返る。mRNAを使ってのうほう性線維症や脳卒中を治療したいと考えたが、研究のための助成金を得ることはできなかったのだ。
非常勤の立場にあったカリコ氏は、これで所属する研究室も金銭的援助も失ってしまった。もし、ペンシルベニア大学に残りたければ、別の研究室を探さなければならなかった。
「彼ら(大学側)は、私が辞めていくだろうと思っていたはずよ」(カリコ氏)
たとえ博士号保持者とはいえ、大学は非常勤レベルの人間を長居させてくれるところではない。ところが、カリコ氏の仕事ぶりを見ていた研修医のランガー氏が、脳神経外科のトップに掛け合って、カリコ氏の研究にチャンスを与えてくれるよう頼んでくれたのだ。
「彼に救われたの」とカリコ氏は言う。
しかし、ランガー氏の受け止め方は違う。
「カリコ先生が私を救ってくれたんです」
「多くの科学者が陥る考え方から、自分を救ってくれたのがカリコ先生でした。彼女と一緒に働いていて、本当の科学的理解というのは、何かを教えてくれる実験をデザインすることで、たとえその結果が聞きたくないものであったとしても、必要なものであることを教えてくれたんです」
「大事なデータは、対照群から得られることが多い。それは比較のために使用するダミーを含む実験です。科学者がデータを見るときの傾向として、自分の考えを立証してくれるデータばかりを探してしまう傾向がある。しかし、最高の科学者は自分の理論が間違っていることを立証しようとするんです。ケイト(カリコ氏)の天才的なところは、失敗を受け入れることを厭わず、何度でもトライする。人が、愚かすぎて聞かなかった質問に答えようとすることなんです」(ランガー氏)