降格を受け入れて大学にとどまる
何とか大学に残れたものの、1995年、カリコ氏はペンシルベニア大学から降格を言い渡される。「成果を出すことができず、社会的意義のある研究とも思えない」というのがその理由だ。研究室のリーダーを降ろされることになったカリコ氏。未来を期待する科学者にとって、大きな後退だ。
「普通は、この時点で、人はバイバイと言って大学を離れるのよ。それだけひどいことだから」(カリコ氏)
ちょうどこの時、彼女にがんが見つかり、ハンガリーに戻っていた夫がビザの問題で出国できないというトラブルも重なった。
「どこか別のところに行こうか、何か違うことをしようか、とも考えたわ。自分には何か足りないのではないか、賢くないんじゃないか、と思ったの。いろいろ想像してみたんだけれど、結論はこうだった。『すべてはここにある。もっといい実験をすればいいのよ』」
カリコ氏は降格を受け入れ、大学にとどまることを選んだ。
彼女が初めてペンシルベニア大学に来たとき、彼女の研究室は病棟の向かい側に建っていた。カリコ氏はいつもそこにいる人々に思いを馳せていた。
「同僚に対して、いつもこう話していたの。『私たちの科学をあそこにいる患者たちに届けなければならない』ってね。窓の外に見える病棟の患者さんたちを指さしながら『絶対にあそこに届けなくちゃ』と」
「研究は私の趣味。他にお金は全く使わなかった。収入が減っても、私と家族の質素な生活を続けるには十分だったし、私自身は毎日楽しかった。仕事が娯楽だったのよ」
※本稿は、『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(著:増田ユリヤ/ポプラ新書)
新型コロナウイルスの世界的な流行に際し、驚異的なスピードで開発されたmRNAワクチン。その立役者カタリン・カリコ氏へのインタビュー、研究者となるきっかけとなった恩師への取材を通し、氏の生い立ち、ワクチン開発の裏側、さらにはRNA研究の未来について描いた力作。